教室日記|「もう無理かも」と言った日

その日の授業前、すみの席に、一人の子が座っていた。

机の上には、返されたばかりの数学の小テスト。
赤ペンの丸よりも、バツの方がずっと多い。

「先生、もう無理かも。」

そう言って、その子はテストを半分に折るようにして、机の端に置いた。

次の定期テストまで、あと二週間。
学校の授業もある。部活もある。宿題もある。
塾に来た日は少し勉強できるけれど、家に帰るとスマホを見てしまう。
気づいたら夜になっていて、あわててワークを開く。
でも、眠くて頭に入らない。

中学生には、そういう日がある。

私は、その子のテストを見ながら言った。

「じゃあ、今日から“間違い直しノート”をマジに作ってみようか。」

「間違い直しですか?」

「うん。でも、ただ答えを写すんじゃないよ。大事なのは、“なぜ間違えたか”を書くこと。」

その子は少し嫌そうな顔をした。
たぶん、また面倒なことを言われたと思ったのだろう。

そこで私は、ノートの端に三つだけ書いた。

一つ目。
計算ミス

二つ目。
やり方を忘れた

三つ目。
問題の意味を読み間違えた

「バツにも種類があるんだよ。同じバツに見えても、理由は違う。理由が分かれば、次に気をつけることも分かる。」

その子は、折りかけていたテストをもう一度開いた。

最初の問題は、正負の数の計算ミス。
次の問題は、展開法則を使い忘れていた。
文章題は、聞かれていることと違う数字を答えていた。

「全部できないわけじゃないんだね。」

その子が小さく言った。

私はうなずいた。

「そう。できないんじゃなくて、どこでつまずいているかが、まだ見えていなかっただけ。」

それから、勉強時間の話になった。

「でも先生、家で三時間とか無理です。部活で疲れるし。」

「三時間やれとは言わないよ。まずは二十五分だけでいい。」

「二十五分?」

「タイマーをかけて、その間だけスマホを見ない。全力集中!数学のワークを二ページだけやる。終わったら五分休む。それを一回できたら合格。」

その子は少し驚いた顔をした。

「それだけでいいんですか?」

「最初はね。毎日ゼロより、二十五分を続ける方が強い。」

次に塾に来た日、その子は本当にノートを持ってきた。

表紙には、少し大きな字で、
『人生なおしノート』
と書いてあった。


中を開くと、前回の数学の小テストが貼ってあった。
その横に、こう書かれていた。

「計算ミス。マイナスを見落とした。」
「展開法則を忘れた。」
「文章を最後まで読んでいなかった。」

字は少し雑だったけれど、私はとてもいいノートだと思った。

それから数日後、授業が始まる前に、その子が隣の生徒に言っていた。

「これさ、マイナスを先に丸で囲むとミス減るよ。」

私は少し離れたところで、それを聞いていた。

人に説明できるようになると、勉強は少し変わる。
ただ覚えるだけではなく、自分の頭で整理し始めるからだ。

そして今日、また小テストが返ってきた。

その子は満点ではなかった。
でも、前よりバツが減っていた。

答案を見ながら、その子は言った。

「先生、まだ間違えたけど、前よりどこでミスったか分かります。」

私は、それが一番大事だと思った。

勉強は、急に全部できるようになるものではない。
昨日まで分からなかったところに気づく。
同じミスを一つ減らす。
二十五分だけ集中してみる。
友達に説明してみる。
そういう小さなことを積み重ねて、少しずつ前に進んでいく。

「もう無理かも」と言った日。
その日は、終わりの日ではなかった。

その子にとっては、
自分の勉強のやり方を見つけ始めた日だったのかもしれない。

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