春休み中のある日。
卒業したばかりの美咲、もちろん仮名ですが、教室に顔を出してくれました。
「先生、こんにちは」
「おう。どうした?」
「親が後から挨拶に来るって言ってました。何時ごろがいいですかって」
「わざわざ申し訳ないな。春休み中なら、18時前までならいつでも大丈夫だよ」
そう言うと、美咲は少し笑って、こんなことを言いました。
「先生の生活、大丈夫かしらって、親が言ってましたよ」
「何それ?」
「私もそう思います。先生、2月ごろ、いったい何時に家に帰ってたんですか? 軽く12時過ぎてたでしょう」
「心配しなくていいから」
「でも先生、体だけは気をつけてくださいよ」
卒業したばかりの子に、そんなことを言われるとは思いませんでした。
こちらは、ただ目の前の子たちに何とか合格してほしくて、毎日やっていただけです。
でも、子どもたちは子どもたちなりに、こちらのことも見ているんですね。
「ありがとう。でももう大丈夫だ。問題児たちが卒業したから」
そう言うと、美咲はすぐに、
「ひどーい」
と笑いました。
そして、少し真面目な顔になって、こう言いました。
「でも先生、私だけじゃなくて、みんな頼れるのは先生だって思っているんですから、体だけは気をつけてくださいね」
こういう一言を聞くと、やっぱりこの仕事をしていてよかったなと思います。
「私、卒業しないことにしました」
少ししてから、美咲が言いました。
「あと、私、卒業しないことにしました」
「え?」
「高校生になっても来ます」
正直、少し驚きました。
受験が終わったら、普通はほっとします。
しばらく塾はいい。
少し休みたい。
そう思う子も多いです。
だから、美咲の言葉は意外でした。
「どうしたの? 随分やる気じゃん」
そう聞くと、美咲は少し考えてから言いました。
「私、わかったんです」
やる気は、待っていても出てこない
美咲は続けました。
「先生、よく言ってたじゃないですか。やらないで“やる気”なんか出るかって」
「言ってたね」
「最初に聞いたときは、正直、何言ってるのって思ってました」
「だろうね」
「だって、やる気が出ないからできないんじゃんって思ってたんです」
これは、多くの子が思っていることだと思います。
やる気が出たら勉強する。
気分が乗ったら始める。
集中できそうな日にやる。
でも、実際には、やる気を待っているだけではなかなか始まりません。
まず席に座る。
今日やることを決める。
一問解く。
わからないところを直す。
少しできるようになる。
そうやって動き始めてから、やっと気持ちがついてくることがあります。
美咲も、受験の後半でそれを感じたようでした。
「今日も頑張った」と思えるようになった
美咲は、受験の後半、ほとんど毎日のように教室に来ていました。
家では、やろうと思っていてもなかなか始められない。
親に「勉強したの?」と言われると、余計に嫌になる。
でも、寝る前には「今日もできなかった」と落ち込む。
そういう時期もあったようです。
でも、教室に来ると違いました。
席に座る。
今日やることを決める。
問題を解く。
わからないところを聞く。
直す。
また解く。
そのくり返しの中で、美咲の中に少しずつ変化が出てきました。
その日、美咲はこんなことを言いました。
「毎日来てたころは、寝るときに思えたんです」
「何を?」
「今日も頑張った。私、頑張ってる。よし、明日も頑張ろうって」
それを聞いたとき、私は本当にうれしくなりました。
成績が上がることも大事です。
合格することももちろん大事です。
でも、それ以上に、
自分で自分の一日を認められるようになったこと
これは、とても大きいと思います。
子どもにとって、勉強はただ問題を解く時間ではありません。
「どうせ自分はできない」
「今日もまたやらなかった」
「自分はダメだ」
そう思っていた子が、
「今日は頑張った」
「昨日よりできた」
「明日もやろう」
と思えるようになる。
この変化は、点数だけでは測れません。
でも、子どもの中では確実に大きな成長です。
「だから、これからも来ます」
美咲は、少し照れくさそうに言いました。
「今、受かったからってやめちゃうと、元に戻っちゃう気がするんです」
「なるほど」
「今日も頑張ったって思えることが、私、好きです。だから、これからも来ます」
この言葉を聞いたとき、ああ、成長したなと思いました。
昔の美咲なら、たぶんこんなことは言わなかったと思います。
勉強は、やらされるもの。
できれば避けたいもの。
テスト前に仕方なくやるもの。
そんな感じだったかもしれません。
でも今は違います。
勉強を通して、自分が変わったことを本人が感じている。
頑張った一日が、自分の自信になることを知っている。
だから、そのリズムを高校に入っても崩したくない。
これは本当に大きな変化です。
「進歩したね。別人のようだよ」
そう言うと、美咲は少し照れながら笑っていました。
子どもは、少しずつ変わっていく
子どもは、ある日突然変わるわけではありません。
一問解く。
一つ直す。
今日やることを終わらせる。
昨日より少しだけ頑張る。
できたことを自分で感じる。
そういう小さな積み重ねの中で、少しずつ変わっていきます。
そして、ある日ふっと、言葉が変わります。
表情が変わります。
自分を見る目が変わります。
美咲の
「今日も頑張ったって思えることが好きです」
という言葉も、突然出てきたものではありません。
毎日の積み重ねの中で、少しずつ育っていたものが、その日、言葉になったのだと思います。
保護者の方へ
保護者の方にとって、子どもの勉強を見守るのは本当に難しいと思います。
やってほしい。
でも、言いすぎると反発される。
放っておくと何もしない。
声をかければ不機嫌になる。
でも、何も言わないのも不安になる。
そのお気持ちは、とてもよくわかります。
家ではなかなか動けない子もいます。
親に言われると反発してしまう子もいます。
自分でもやらなきゃいけないとわかっているのに、始められない子もいます。
でも、そういう子でも、環境が変わると動き出すことがあります。
今日やることが見える。
わからないところを聞ける。
できたところを見てもらえる。
昨日より進んだことに気づける。
そういう場所があると、子どもは少しずつ変わっていきます。
最初からやる気満々でなくても大丈夫です。
最初から前向きでなくても大丈夫です。
やる気は、待っていれば自然に出てくるものではありません。
やってみる。
少しできる。
今日も頑張ったと思える。
そのくり返しの中で、やる気は育っていきます。
私は、そういう子どもの変化を見るのが好きです。
成績を上げることはもちろん大事です。
合格することも大事です。
でも、それと同じくらい、
子どもが
「自分でも頑張れる」
「昨日より少しできた」
「明日もやってみよう」
と思えるようになることは、大切だと思っています。
皆さんのお子さんにも、そういう変化を起こしていきたい。
自分の一日を、自分で少し誇れるようになってほしい。
美咲とのやり取りを思い出すたびに、私はそう思います。
これからも、教室の中で起きる小さな変化を、一つひとつ大事に見ていきたいと思っています。

