授業をしていて気になることがあります。
私が説明している間に、一生懸命、別の問題を解いている子がいます。
遊んでいるわけでも、ぼんやりしているわけでもありません。本人は本人なりに、真剣に勉強しているのです。
「もうわかっている問題なのかもしれない」
「自分のペースで先へ進みたいのかもしれない」
最初は、私もそう思っていました。
ところが、ある日、こんなことがありました。
私が一つの問題について説明していました。
「この問題は、いきなり計算を始めると間違えやすい。まず、ここを見て、次にココを確認してAタイプの問題か、Bタイプの問題かを判別する」
答えの出し方だけではありません。
どこに注目するのか。
なぜ、その順番で考えるのか。
どんな間違いをしやすいのか。
ほかの問題にも使える考え方まで話しました。
その間、その子は、ずっと別の問題を解いていました。
説明が終わり、私が教室を回っていると、
その子が、問題集を指さして言いました。
「先生、これ教えてください」
見てみると、ついさっき私が説明していた問題でした。
「これ、さっき説明した問題だよ」
そう言うと、その子は驚いた顔で聞き返しました。
「えっ、さっき、これを説明していたんですか?」
思わず笑いそうになりましたが、笑い話ではありません。
その子は、授業をさぼっていたわけではないのです。
むしろ、一生懸命に勉強していました。
ただ、その子の中では、
「勉強すること=問題を解くこと」
「手を止めること=勉強していないこと」
になっていたのだと思います。
そこで私は、その子に聞きました。
「何のために塾に来ている?」
少し考えてから、その子は答えました。
「わからない問題を、できるようにするためです」
「そうだよな。だったら次は、説明している間だけ鉛筆を置いて、こっちを見てみよう。答えだけではなく、次の問題にも使える考え方を話しているから」
次の授業では、その子は鉛筆を置き、顔を上げて説明を聞いていました。
その後、よく似た問題を解かせてみました。
しばらく問題を見ていたその子が、小さな声で言いました。
「あっ、さっき先生が言っていたのと同じだ」
そこからは、ほとんど迷わず解き進めました。
そして、解き終わったとき、少し照れながら言いました。
「先生の話、先に聞いた方が早かったですね」
もちろん、その一回ですべてが変わったわけではありません。
今でも、説明が始まっているのに問題集へ目を落としていることがあります。
けれど、声をかけると、
「あっ、そうだった」
という顔をして、鉛筆を置くようになりました。
それだけでも、大きな変化だと思います。
自分で考え、自分の力で問題を解く時間は大切です。
しかし、授業には、自分一人では気づきにくい考え方を知る時間があります。
すでに解ける問題の説明であっても、聞く価値はあります。
たまたま正解しただけなのか。
理由まで説明できるのか。
もっと速く、確実に解く方法はないのか。
別の問題にも、その考え方を使えるのか。
教室では、答えの出し方だけでなく、そこまで伝えています。
ノートも同じです。
黒板に書かれたものを、最初から最後まで写すことだけがノートではありません。
説明を聞いて、
「これは知らなかった」
「自分は、ここで間違えていた」
「次からは、ここを先に見よう」
と思ったことを残す。
それが、本当に自分の役に立つノートです。
説明を聞いていなければ、ノートに残すべき「気づき」も見つかりません。
秋になると、学習内容は少しずつ難しくなります。
ただ問題数を増やすだけでは、なかなか前へ進めない場面も増えてきます。
だから教室では、問題の答えだけではなく、
「どこを見るのか」
「どう考えるのか」
「何をノートに残すのか」
という、学び方そのものを伝えていきたいと思います。
問題集を何ページ進めたかだけではなく、今日、どんな考え方を一つ持ち帰ったのか。
一問多く解くことより、一つの説明をきちんと聞くことが、その先の十問を変えることがあります。

